2021年6月27日日曜日

存在しない記憶の話

 最近はやりの「存在しない記憶」の話をしよう。

自分でもゾッとしなのである。

なお、このページはシドニアの騎士、およびダーリン・イン・ザ・フランキスのネタバレに触れるため、

原作・映画を履修済の人はご注意ください。



さかのぼること6月4日。

シドニアの騎士劇場版、公開初日に行ったのです。

観る前に漫画を読み返そうと思ってたんだけど、時間がなかったのでちょっとボンヤリした記憶のまま。

音楽もアクションも良くて、主人公の顔こんな感じだったけ?ってなりつつも、ヒロインつむぎの幼くも健気さに心を打たれ、ウルウルしながら感動に震え物語は佳境へ。

ガウナの大シュガフ船を撃ち、惑星レムへ植民しましたとさ。というハッピーエンドだったんですけどね。

映画観を終わったあと、私は大層戸惑いまして、それが原作と違った終わり方(だと思ってた)んですよ。

つむぎが長道を助けるため自らの身体を犠牲にし、レム植民後に再生を受けてエナ化星白に移植され、人間サイズになったつむぎと長道が番ってハッピーエンド。


だけど、私の記憶では衛人サイズのつむぎと長道が惑星レムの大気を目にして、二人寄り添って終わるエンドだったので、

「人と人エンドもよかったけど、つむぎ巨人エンドのが良かったな~。あの原作のシーンを映画でも観たかったな~」って思ってたんだけどそんなものはない。

私は私が恐ろしい。

己の好みの結末に改竄しただけでなく、原作の結末をなかったことにしていた脳が。